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今日は暖かかったですね~
来週から仕事に復帰する予定です。
そのため、今日は父のお墓参りに行ってきました。
もうすぐお母さんが行くからねー、よろしくねー、と父に伝えてきました
その後は美容院へ!
やっぱり女性が元気になるのには美容院は欠かせませんね~


1月31日
病院で死亡確認をし、その後の搬送については、私の自宅を指定しました。
そして、ドイツに出張で行っているパパさんに電話で今の状況を伝えました。
時差が8時間あり、パパさんはまだ寝ている状態でした。
実はパパさんが出張に行く前日に母を見舞ってくれていました。
その際に、「元気になろうと思って、頑張ったけど、もうイヤ・・。」と母が初めて弱音を吐きました。
その言葉を聞いた私は、退院後は自宅に連れて帰ろう、と決心したのでした。
退院予定日の3日前でした。そして翌日に受け入れ先のホームへキャンセルしました。
私の意図を汲んでくれたケアマネさんはイヤな顔ひとつせずに即対応してくれました。
そんな経緯があった事もあり、
パパさんは母が亡くなった事を聞いて、とてもショックを受けていました。
数千キロ離れている所からパパさんの悲しそうな声が刺さりました。
取り合えず、報告だから。後は妹たちと何とかやるから、と言って電話を切りました。


搬送業者さんが到着するまでの間に妹たちと葬儀の仕方について話合いをしました。
今さっき母の呼吸が止まったばかりでしたが、すぐに次の事を手配しなければならない状況なんですよね
事前に調べておいて良かったです。

方針としては、ごく近い身内のみでの葬儀をする
お金は最小限にする
直葬をする(通夜も告別式も行わない)

妹たちの同意が得られたので、ネットで調べていた葬儀会社に電話をしました。
コールセンターの女性が丁寧に対応してくれました。
その際に、病院からの搬送がセットに含まれるとのことを言われ、
今、頼んでしまった業者さんをキャンセルできるならした方がいいですよ、と言われました。
慌ててキャンセルしようとしたら、すでに到着してしまっていました。
ですが、病院紹介の業者さんが、ネットの葬儀会社の提携会社だったことがわかり、
その時点からセット扱いにしていただくことが出来ました。

病院の霊安室に案内され、寝台に寝ている母と、祭壇が用意されてました。
さっきまで生きていたのに、もうお線香を立てることに違和感がありました。
その場所で、ドクター、看護士さんに見送られ、霊安室から外に出ました。
見送っていただくドクターは本来は主治医(前日まで入院していたので、その主治医)が担当することになっているらしいですが、
他の患者さんの対応中ということで、見送りには来ませんでした。

最後までこの病院の対応には納得のいかない部分が多々ありましたが、
その件については後日書きたいと思いますので、今回は割愛します。

業者さんの寝台車に私が同乗し、妹や子供たちは車で後から追いかけてきました。
母は光沢のある白い布で頭からつま先まで包まれていました。

自宅に到着し、先ほどまで母が寝ていた部屋へ搬入します。
業者さんより、北側はどちらですか?と聞かれ、その方向を示しました。
さっきまで寝ていたのと反対に頭を向けて、母を寝かせました。
その後、「お仕度をしますので、準備が出来ましたら、お声かけさせていただきます」と言われ
私たちは一旦部屋を出ました。

少ししてから呼ばれ、部屋に行くと、
母は浴衣を着せられ、顔も綺麗な状態になっていました。
痩せて頬はこけていたはずですが、ふっくらしていましたし、安らかな寝顔でした。
苦し気な表情はどこにも感じず、とても美しい母の顔でした。

業者さんに、葬儀の方法について、「直葬」希望を伝えました。
火葬場の空き状況について、翌日確認して、ご連絡いただくことになりました。
参列者は、私たち3姉妹と、その子供たちなど。総勢10人程度の予定となりました。

一番下の妹、ウチの長男夫婦は一旦帰宅、
残ったのは、私は子ウシ、妹と甥っ子姪っ子でした。
子ウシも東京にアパートがありますが、私のことを心配してか、帰るとは言わず、
ずっと側についていてくれました。
本当に心強かったです。

そして、最後に、私と子ウシだけが残りました。
2人で母の顔を見ながら、「お化粧しよう!」
コンシーラーでシミを隠し、ベースメイクして、ファンデーションを塗りました。
頬にチークを入れたら、顔が明るくなりました。
眉も書き足しました。
私の春用のアイシャドーはラメ入りで、ちょっと派手になっちゃったけどww
まぁ、いっか!「おばあちゃん、綺麗だよー」と2人で笑いながら、
まるで女子会みたいにキャイキャイしながらメイクしてあげました。
子ウシが居てくれた良かった。
これ、私一人じゃ出来なかったと思います。

時間が経つにつれて、母の弟妹たちからもどんどん連絡が入り始めました。
母の弟は、札幌と福岡、妹は名古屋と静岡
全国散り散りです。母が長女ですが、他の弟妹も70歳~80歳と高齢です。
それもあり、遠くから皆を呼び寄せずに、私たちだけで葬儀をしようと思ったのです。
ですが、皆、やはり最後にお別れに来たいと言います。
そういう母の弟妹の気持ちもすごく良くわかります。
そのため、再度、姉妹で話し合いをし、皆がお別れが出来る場を作る、
それが私たちの役割でもある、と考えを一致させました。
「直葬」→「一日葬」にしようと思いました。

そして、色々とまた考えた結果、
お坊さんは呼ばない
無宗教で執り行う
母の写真を集めてスライドショーにする
母への感謝の手紙をそれぞれ書いてくる

そこまで決めました。

母をジメジメとした寂しい式で送りたくない
命を燃やしつくして頑張って生きてくれた母を、温かく、華やかに、みんなで送ってあげよう!

チームおばあちゃんず の絆が固く結ばれました


そして最初の夜、
私は母の隣に布団を敷いて寝ることにしました。
人が亡くなると、最初の晩は「寝ずの番」といって、ロウソク、線香を切らさずに一晩中誰かが番をする、という事をしていたと思いますが、
今は、ロウソクの代わりに部屋の電気をつけておくこと、線香は12時間持つグルグル巻きのお線香を使う、ので、
寝ずの番は必要なくなっていました。

前日は母がちゃんと呼吸して生きていて、隣で寝ていたのに、
今は、頭の向きが反対になって、顔に白布がかかっている状態になっているのが、とても変な感じでした。
死人と一緒に寝ていることについての不気味さは全く感じませんでした。
ニャンコたちも遠慮してか、部屋に殆ど寄り付きませんでした。
とはいえ、やはり興奮状態だったのが、眠りが浅く、3時ごろ目が覚めてしまいました。
そこでパパさんにLINEしてみたら、すぐに返事が来て、
電話をかけてきてくれました。
しばらくパパさんが話をして気持ちが落ち着いたのと同時に、不安と悲しさも沸いてきました。
パパさんが帰国の手配をしようとしてくれたようですが、
4日後の便しか取れないとのことでしたので、ムリせず出張を続けるように言いました。
母も仕事を途中で終わらせて自分の為に戻ってきて欲しいなんて決して思わないはずだよ、と。
実際、こういう場面でまさかパパさんが居ないなんて想定外でしたが、
そういうことって起きるものなんですね

でも、私には、チームおばあちゃんずが居る!
母を送り出す責任が私にはあるもんね
そう思いながら、また眠りにつきました。





というところで、次回に続きます
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