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2017.05.10
震災7回忌 復興の釜石・大船渡・南三陸 ~東北ツーリング~
息子の体調は1日ですっかり良くなりました
昨日は別の病院で入院が必要、と言われてたのですが、
本当にこちらに呼び寄せて良かったですよ
セカンドオピニオンって大切ですねー
通院の点滴治療で、喉の腫れがかなり縮小し、今日はご飯も食べられるようになりました
と、せっせと息子の世話を焼くウシ子に対して、なんとなーくパパさんが機嫌が悪い気がするのよね~
ホント、なんとなーくなんだけど(笑)
さてさて、前回の続きです
5月5日(金) この日も最高のお天気でした!


お宿での朝食の後、女将さんによる「語り部」がありました
その際に、津波の中から泳いで助かった事、その後の釜石の復興の状況などを詳しくお話いただきました
つい一か月前まで、仮設住宅にいらしたそうです。
何の不便もない、有難い事だ、と感謝していたが、ようやく公営の戸建て住宅に入る事が出来、
もう仮設住宅には戻りたくない!と思ったそうです
今でもスタッフの方は仮設住宅にいらっしゃるそうです
震災から丸6年も経つのに、いまだそういう状況であった事を、まったく理解しておらず
お恥ずかしい限りでした
そして、釜石の復興の為に、小さな子供達から、中学、高校生まで、
自分たちの街を守ろう、再建しよう、という気持ちを一つに、様々な活動をされていることも、とても興味深く聴き入りました
そういえば・・・ 釜石は今、山火事で大変な事になっているようですね
早く鎮火して、地域の方々が安心して生活できるように願っています
さて、出発しまーす

この日は出来る限り、海岸線を走ろう、という事で、
三陸のリアス式海岸に沿って走るつもりでいましたが、
走っては通行止めや、砂利道などにぶつかってしまい
のりさんのカワサキに立ちごけの悲劇も起きて(^_^;)
まともな道で行こう、ということになりました(笑)

道の駅 三陸
お食事処は11時くらいから長蛇の列になっていました
ウニ丼が有名みたいでしたよ

大船渡漁港
ここも津波の被害が酷かったところですね
国道45号線を走っていると、津波の浸水区間 という案内板が繰り返し出てきます
小高い所にもその表示があったりして、津波の高さは想像を絶するものがあります

ランチは、アワビ丼~♪ コリコリ感がたまらない

そして、さらに海岸線に沿って南下
今度は陸前高田です
ココは津波をかぶりながらも生き残った、一本の松 「奇跡の一本松」があります
ちょっと寄ってみよう、と思ったら、ビックリ!
まるで観光スポットです。 大駐車場があり、そこから一本松まで15分歩いていくようになっていました
ウシ子はココまで来たのだから、絶対に行く!と思っていたのですが
パパさんも、のりさんも、”行かない”っていうし・・・(-_-)
2人を30分以上も待たせるわけに行かないし、已む無く断念(T_T)/~~~
この写真の「セルフ」の看板 高さ15メートルありますが、津波はココを越えたそうです((+_+))
このあたり一帯、大規模な浸水エリアとなっていました
その中で生き残った一本松が、復興のシンボルとして被災地の方々の希望となったのも頷けます

走り出したら、何と! 一本松が見えましたーー!

そして、すぐ近くにある、廃墟となっている建物 7年目にして、まだこのような建物があります

また数十キロ南下して、南三陸へ
たぶん、ココは「南三陸サンサン商店街」かな? 既に時間は17時を回っていたので、立ち寄らなかったのですが
前日に訪れたブロ友さんやFB友さんは、大混雑で入れなかった、という事でした
復興のシンボルとしてオープンした商店街が大繁盛は喜ばしい限りですね

そして、この近くには、防災庁舎があり、献花台もあります
実は2012年、震災の翌年に、家族でこの場所を訪れました
その時の衝撃は今でも鮮明に記憶に残っています

そして、この日のお宿に到着~♪
デカい! 立派!
南三陸 ホテル観洋

屋根付きの広い駐輪場

ホテルの中は大規模ホテルらしい設備と広大なスペース

震災の時、ここは避難所としてフル稼働だったそうです

お部屋からの眺めが素晴らしい~ 右下はウミネコですよ! いっぱい飛んでいます

何かの養殖をしているみたい。ホタテかな? ウニか?


露天風呂はこの海に面していて、海を眺めながらゆったりと出来ます
素晴らしいお風呂でしたよ~
夕食はこんな感じ

ウニがウマウマ~


メインはアワビの踊り焼き(*^_^*)


3日目の晩餐を堪能しました!
というところで、次回に続きます♪
ではでは
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昨日は別の病院で入院が必要、と言われてたのですが、
本当にこちらに呼び寄せて良かったですよ
セカンドオピニオンって大切ですねー
通院の点滴治療で、喉の腫れがかなり縮小し、今日はご飯も食べられるようになりました
と、せっせと息子の世話を焼くウシ子に対して、なんとなーくパパさんが機嫌が悪い気がするのよね~
ホント、なんとなーくなんだけど(笑)
さてさて、前回の続きです
5月5日(金) この日も最高のお天気でした!


お宿での朝食の後、女将さんによる「語り部」がありました
その際に、津波の中から泳いで助かった事、その後の釜石の復興の状況などを詳しくお話いただきました
つい一か月前まで、仮設住宅にいらしたそうです。
何の不便もない、有難い事だ、と感謝していたが、ようやく公営の戸建て住宅に入る事が出来、
もう仮設住宅には戻りたくない!と思ったそうです
今でもスタッフの方は仮設住宅にいらっしゃるそうです
震災から丸6年も経つのに、いまだそういう状況であった事を、まったく理解しておらず
お恥ずかしい限りでした
そして、釜石の復興の為に、小さな子供達から、中学、高校生まで、
自分たちの街を守ろう、再建しよう、という気持ちを一つに、様々な活動をされていることも、とても興味深く聴き入りました
そういえば・・・ 釜石は今、山火事で大変な事になっているようですね
早く鎮火して、地域の方々が安心して生活できるように願っています
さて、出発しまーす

この日は出来る限り、海岸線を走ろう、という事で、
三陸のリアス式海岸に沿って走るつもりでいましたが、
走っては通行止めや、砂利道などにぶつかってしまい
のりさんのカワサキに立ちごけの悲劇も起きて(^_^;)
まともな道で行こう、ということになりました(笑)

道の駅 三陸
お食事処は11時くらいから長蛇の列になっていました
ウニ丼が有名みたいでしたよ

大船渡漁港
ここも津波の被害が酷かったところですね
国道45号線を走っていると、津波の浸水区間 という案内板が繰り返し出てきます
小高い所にもその表示があったりして、津波の高さは想像を絶するものがあります

ランチは、アワビ丼~♪ コリコリ感がたまらない

そして、さらに海岸線に沿って南下
今度は陸前高田です
ココは津波をかぶりながらも生き残った、一本の松 「奇跡の一本松」があります
ちょっと寄ってみよう、と思ったら、ビックリ!
まるで観光スポットです。 大駐車場があり、そこから一本松まで15分歩いていくようになっていました
ウシ子はココまで来たのだから、絶対に行く!と思っていたのですが
パパさんも、のりさんも、”行かない”っていうし・・・(-_-)
2人を30分以上も待たせるわけに行かないし、已む無く断念(T_T)/~~~
この写真の「セルフ」の看板 高さ15メートルありますが、津波はココを越えたそうです((+_+))
このあたり一帯、大規模な浸水エリアとなっていました
その中で生き残った一本松が、復興のシンボルとして被災地の方々の希望となったのも頷けます

走り出したら、何と! 一本松が見えましたーー!

そして、すぐ近くにある、廃墟となっている建物 7年目にして、まだこのような建物があります

また数十キロ南下して、南三陸へ
たぶん、ココは「南三陸サンサン商店街」かな? 既に時間は17時を回っていたので、立ち寄らなかったのですが
前日に訪れたブロ友さんやFB友さんは、大混雑で入れなかった、という事でした
復興のシンボルとしてオープンした商店街が大繁盛は喜ばしい限りですね

そして、この近くには、防災庁舎があり、献花台もあります
実は2012年、震災の翌年に、家族でこの場所を訪れました
その時の衝撃は今でも鮮明に記憶に残っています

そして、この日のお宿に到着~♪
デカい! 立派!
南三陸 ホテル観洋

屋根付きの広い駐輪場

ホテルの中は大規模ホテルらしい設備と広大なスペース

震災の時、ここは避難所としてフル稼働だったそうです

お部屋からの眺めが素晴らしい~ 右下はウミネコですよ! いっぱい飛んでいます

何かの養殖をしているみたい。ホタテかな? ウニか?


露天風呂はこの海に面していて、海を眺めながらゆったりと出来ます
素晴らしいお風呂でしたよ~
夕食はこんな感じ

ウニがウマウマ~


メインはアワビの踊り焼き(*^_^*)


3日目の晩餐を堪能しました!
というところで、次回に続きます♪
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SevenFifty
こんばんは。
SevenFiftyです。
復興支援は現地へ観光で行き泊まって食べて買い物が一番ですね。
わたしも行きたいのですが泊りで出かけるのは事実上不可能なので、みなさんのブログで復興の様子を拝見させていただいています。
SevenFiftyです。
復興支援は現地へ観光で行き泊まって食べて買い物が一番ですね。
わたしも行きたいのですが泊りで出かけるのは事実上不可能なので、みなさんのブログで復興の様子を拝見させていただいています。
ウシ子
SevenFiftyさん
> 復興支援は現地へ観光で行き泊まって食べて買い物が一番ですね。
そう思います。というか、ソレしか出来ない・・・(^_^;)
なので、せめて自分の出来ることを、と思ってます
> わたしも行きたいのですが泊りで出かけるのは事実上不可能なので、みなさんのブログで復興の様子を拝見させていただいています。
そうですか~、お泊り出来ないのは残念ですね
東北や九州など、被災地をツーリングに行かれる方は最近多いですからね
いろいろな情報が伺えるのはいいですよね♪
> 復興支援は現地へ観光で行き泊まって食べて買い物が一番ですね。
そう思います。というか、ソレしか出来ない・・・(^_^;)
なので、せめて自分の出来ることを、と思ってます
> わたしも行きたいのですが泊りで出かけるのは事実上不可能なので、みなさんのブログで復興の様子を拝見させていただいています。
そうですか~、お泊り出来ないのは残念ですね
東北や九州など、被災地をツーリングに行かれる方は最近多いですからね
いろいろな情報が伺えるのはいいですよね♪
2017/05/10 Wed 23:09 URL [ Edit ]
postpapa
南三陸の観洋の前は何度も通ってますが、日帰り圏内なので残念ながら泊まった事はありません。
海の幸が美味しそうですね~
仙台近郊でもまだまだ仮設住宅で暮らしてる方は大勢います。
新しく出来た市営住宅に優先的に引っ越して来たり、既存の公営住宅に住んだり様々です。
新たに家を建てる人は経済的に余裕のある一部の人ですね。
被災地の復興はまだまだこの先時間を必要としますね。
当初TVでは3~5年で・・と言っていた方もいらっしゃいましたが、10年でも無理だろう当時思いました。
それでも少しずつ確実に進むしかないです。
他県の方々が東北の復興に少しでも力を・・・
そう思っていただいている事が本当にありがたいと感じます。
海の幸が美味しそうですね~
仙台近郊でもまだまだ仮設住宅で暮らしてる方は大勢います。
新しく出来た市営住宅に優先的に引っ越して来たり、既存の公営住宅に住んだり様々です。
新たに家を建てる人は経済的に余裕のある一部の人ですね。
被災地の復興はまだまだこの先時間を必要としますね。
当初TVでは3~5年で・・と言っていた方もいらっしゃいましたが、10年でも無理だろう当時思いました。
それでも少しずつ確実に進むしかないです。
他県の方々が東北の復興に少しでも力を・・・
そう思っていただいている事が本当にありがたいと感じます。
2017/05/11 Thu 09:44 URL [ Edit ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/05/11 Thu 09:58 [ Edit ]
ウシ子
postpapaさん
こんばんは
> 南三陸の観洋の前は何度も通ってますが、日帰り圏内なので残念ながら泊まった事はありません。
そうですね、お近くですものね!
海がとても素敵でした
> 海の幸が美味しそうですね~
> 仙台近郊でもまだまだ仮設住宅で暮らしてる方は大勢います。
> 新しく出来た市営住宅に優先的に引っ越して来たり、既存の公営住宅に住んだり様々です。
> 新たに家を建てる人は経済的に余裕のある一部の人ですね。
> 被災地の復興はまだまだこの先時間を必要としますね。
> 当初TVでは3~5年で・・と言っていた方もいらっしゃいましたが、10年でも無理だろう当時思いました。
> それでも少しずつ確実に進むしかないです。
釜石の女将さんのお話はとてもショッキングでした
6年以上が経過しても、仮設住宅での暮らしを余儀なくされている方が沢山いらっしゃること
改めて震災の爪痕の深さを感じました
> 他県の方々が東北の復興に少しでも力を・・・
> そう思っていただいている事が本当にありがたいと感じます。
具体的に出来る事が中々思い浮かばずです
遊びに行くことは今でも多少抵抗があります。不謹慎なように感じることもありますが
復興の力にわずかでもなれるのであれば、と、前向きに捉えるようにしています
まだ行き足りないところが沢山です。また伺います
こんばんは
> 南三陸の観洋の前は何度も通ってますが、日帰り圏内なので残念ながら泊まった事はありません。
そうですね、お近くですものね!
海がとても素敵でした
> 海の幸が美味しそうですね~
> 仙台近郊でもまだまだ仮設住宅で暮らしてる方は大勢います。
> 新しく出来た市営住宅に優先的に引っ越して来たり、既存の公営住宅に住んだり様々です。
> 新たに家を建てる人は経済的に余裕のある一部の人ですね。
> 被災地の復興はまだまだこの先時間を必要としますね。
> 当初TVでは3~5年で・・と言っていた方もいらっしゃいましたが、10年でも無理だろう当時思いました。
> それでも少しずつ確実に進むしかないです。
釜石の女将さんのお話はとてもショッキングでした
6年以上が経過しても、仮設住宅での暮らしを余儀なくされている方が沢山いらっしゃること
改めて震災の爪痕の深さを感じました
> 他県の方々が東北の復興に少しでも力を・・・
> そう思っていただいている事が本当にありがたいと感じます。
具体的に出来る事が中々思い浮かばずです
遊びに行くことは今でも多少抵抗があります。不謹慎なように感じることもありますが
復興の力にわずかでもなれるのであれば、と、前向きに捉えるようにしています
まだ行き足りないところが沢山です。また伺います
2017/05/15 Mon 23:46 URL [ Edit ]
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