2014.02.05 父の思い出
今日は関東地方で久しぶりに本格的な雪になりましたね。
思ったよりも積もらなかったのが幸いでした。

雪が降ると、父が亡くなった時のことを思い出します。
私が高校2年生の時でした。


大手の新聞社の本社勤務だった父は私の自慢でした。
優しくて、どんな質問にも丁寧にわかりやすく答えてくれ、怒られるということもほとんどありませんでしたが、
物事を順序たてて話をする父は、私にとってはスーパマンのように頼りになる存在でした。


父は仕事が忙しく、毎晩23時前には帰宅したことがありません。
お酒好きだったこともあり、また当時の新聞社の交際費の使い方は相当派手だった時代で、
毎晩、酒、麻雀は当たり前。
でも子煩悩な父は、どんなに遅くても必ず家に帰ってきて、まっすぐ私と妹たちの所にきて、
お酒くさい顔でほっぺにチューチューするので、母がよく「子供が起きるからダメ!」って言ってたのを覚えてます。

小学生くらいまでは、唯一のお休みの日曜日は、荒川の土手までよく散歩に連れていってくれました。
土手を歩きながら、タンポポやノビルを摘んだり、
妹たちと一緒に声を張り上げてよくこの歌を唄いました。

お手手つないで 野道を行けば
みんな可愛い小鳥になって
歌を唄えば靴が鳴る


帰りに駄菓子屋さんでアイスを買うのが楽しみだったな

午前中ゆっくりと散歩をして家に帰ると、
一通り家の掃除を終えた母がご飯を用意して待っている、というのが日曜日の当たり前の一日でしたね


そんな父でしたが、私が高校に入学する頃に体調を崩し、会社を休みがちになりました。
原因不明の熱が続き、寝込んでいたのを覚えています。


それから約2年、病状は少しずつ悪化し、一度は開腹手術をしたものの、末期状態に手を施せず、
そのまま閉じられました。
父は告知されてなかったので、その手術で完治したと信じていました。
数か月は病状も安定して、このまま治るかも・・と思ったくらいでしたが、
ジワジワとガンは父の身体を蝕んでいったのです。


ガンで既に余命いくばくもない状態に陥っていた父は、家の近くの病院に転院していました。
母がその病院の薬局にパートで勤務していた縁で、最後の時を過ごす場所として選らんだのです。
もちろん父には病名の事は最後まで告げませんでしたが、本人は気付いていたと思います。

無くなる3日前、2月17日。
私立女子高に通っていた私は、翌日の入学試験のお手伝い委員として学校で準備をしていました。
担任の先生から、「すぐ家に帰りなさい」
と言われ、大急ぎで帰りました。
妹たちも同様に家に戻ってきていました。
3人で病院に行くと、ほとんど昏睡状態になっている父の姿がありました。
心配で心配で堪りませんでしたが、とりあえず今日は帰りなさい、と言われて3人で帰りました。
母はもうずっと病院で泊まり込みしていましたので、家では3人だけで過ごしていました。

何が起ころうとしているのかはわかっていましたが、
口に出したら現実になりそうで、私も妹たちも父の事に触れずに無言で帰りました。



そして、20日の早朝。5時50分ごろ。
家の電話がけたたましくなりました。
受話器を取ると、母からで「すぐに病院に!」と。
それからすぐに着替えて妹たちと一緒に家を飛び出し、
全力疾走して病院まで走り続けました(病院までは歩いて5分の距離でした)


病室に駆け込むと、すでに父は亡くなっていました。
母が「お父さん、死んじゃったよ・・」

そのあとは自然に涙があふれてきて、3人でワーワー大声で泣き続けました。


たしか翌21日に東京に記録的な雪が降りました。15センチくらいは積もった気がします。
御通夜も告別式も雪景色に囲まれてました。

父は現役で亡くなったので、大雪の中にも関わらず、数百人の方が弔問に訪れてくれました。
会社の社旗に包まれて柩に納められた姿を見て、
仕事一筋に人生を捧げながらも、家族を大切に愛情を注いでくれた父を誇らしく思ったのを覚えています。



来年で33回忌を迎えます。
父は享年52歳ですからね。私もその年齢に近づいてきたのが不思議な気がします。
遺影で見る父の顔は、きっと今の私の年齢よりも若い時の顔なのだと思いますが、
それでも、それが父の顔であり、そのうち、私の方がおばあちゃんの顔になってくるのかもしれませんが、
永遠に年を取らない父の顔はずっと私の心の中に映っています。


雪を見て昔の事を思い出しました






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