FC2ブログ
うゎーん、来月のマラソン大会、開催するかどうか明日決定になるらしい。。。
これを目標に頑張ってトレーニング(というほどのものでもないが)してきたから中止は悲しい
せっかくシューズも買ったのにぃ
2020215-014.jpg

早くコロナウィルスが収拾して欲しいです


さて、先週土曜日、久々にツーリングに行ってきましたよ
グレ子をローダウンした後、まともに走ってなかったんですよね
母の事でバタバタしたり、落ち込んだりしたけど、やっぱりバイクはウシ子を元気にしてくれる!

行先は千葉県の佐原へ
何度か行ったことがあるのですが、一番良いのは、ひたすら真っすぐで交通量が少なくて、長閑な風景の中を走れる事。

千葉県の我孫子あたりから銚子まで利根川に沿って走る道。
ウシ子の家はさらに西にある利根川沿いの為、とにかくずーっと利根川と共に走るって感じです

パパさんとかに言わせると、単調すぎてつまらん、らしいけどね
最近、メンタル弱弱だったウシ子にとっては、リハビリがてらベストなルートです。

やっぱりローダウンしてよかったー!
ほんのちょっとの事なんだろうけど、安心感は格段に違う
ローダウン前はソロツーするのが自信なかったけど、これならOK~♪
ただし駐車の時は要注意かな。
サイドスタンドの傾斜加減は路面をよーく見てから停めないと右側に倒れちゃう

約2時間走って、佐原到着~
2020215-013.jpg

こちらのフレンチのお店でランチするのは3-4回目かな?
とっても雰囲気が良くてお気に入りです
「夢時庵(ムージャン)」
2020215-012-1.jpg


この日はランチコース2500円(税別)をお願いしました
前菜として出るグリーンサラダ 
と、思いきや、この中に貝やお魚、スモークサーモン、生ハムなどが隠れているんですよ!
ドレッシングも美味しくてとても豪華なサラダです
パンはお替わり自由で、モッチモチです
2020215-011.jpg

ミネストローネ
2020215-010.jpg

鰆と目鯛のポワレ
2020215-009.jpg

パンナコッタのキャラメルソールかけ
2020215-008.jpg


落ち着いた席で一人でも居心地がよくて、お料理も美味しいし、大満足
お肉が食べたい人は3500円のコースにすると、サーロインとお魚の両方が食べられますよ

とっても素敵なお店なので、オススメです。



佐原の町は素敵なレストランやウナギ屋さん、カフェや雑貨、食品のお店など
見どころ沢山です。散策しながらお店を見て回るのも楽しいと思います。

今回は帰る時間を気にしていたので、散策は諦めて、写真だけ撮ってきました
2020215-005.jpg

観光用の舟下りもあります
2020215-007.jpg

2020215-006.jpg


のんびりしてたら15時近くになってしまったので、急いで戻らなくちゃ
片道90キロ、下道なので、2時間はまるまるかかります。
帰りは同じ道ではなく、利根川の北側(茨城県側)で帰ってきました。
でもやっぱり往路の利根水郷ラインの方が良かったですね

グレ子はTHT液晶が付いていてハイスペックな機能が付いているんですよね
が、ホントに私鈍くて。。 もう納車して数か月たつのに、いまだに弄り方がわからなくて(^-^;
そんな状態ではありますが、この日のツーリング記録というのをこんな感じで見られる画面をやっと出せた(笑)
2020215-004.jpg

でも、これを見て、だから何?ってイマイチよくわかんないけど
とにかく使わないことには一向に覚えられないので、ツーリングの時は色々と触ってみようと思いましたww


帰ってからニャンズに癒されたー
2020215-016.jpg

2020215-017.jpg


今週末、今度はハーレーに乗り換えて、また同じコース走ろうかな♪



ではでは
今日もポチっと応援よろしくお願いします♪
にほんブログ村 バイクブログ 女性ライダーへ
にほんブログ村
スポンサーサイト



今日は久しぶりにバイクに乗りました!
ソロツーで千葉県の佐原へ、オール下道です。
やっぱりバイクはいいなぁ~
この件はまた後日レポしますね


2月1日
札幌の叔父夫婦が来ることになりました。
姪っ子の電報のお蔭でチケットを確保することが出来たそうです。
叔父夫婦も70代後半で高齢です。羽田からウチまで電車で2時間近くを移動するのはかなり大変です。
そこで、子ウシが車で羽田におお迎えに行ってくれました。 子ウシの2つ年下の姪っ子も一緒です。
頼れる女子2人、本当に助かりました。 羽田までの首都高速は複雑で結構難易度高いのですが、
子ウシは運転が上手なので安心でした。

その間、私は葬儀会社の方と葬儀についての打ち合わせをしました。
日程は2月5日と決まりました。
私自身、無宗教の葬儀は初めてです。しかも喪主として執り行う為、いったいどうすればいいのか不安でした。
ですが、葬儀会社の担当の方がとても親身になって下さり、
また気になる金額についても明瞭でした。
昔は「葬儀一式」というような価格設定で、金額もいい加減なことがあったようですが、
セット価格に含まれるものが幾らで、オプションを付けたら幾らで、と、非常にわかりやすいものでした。

もともと直葬と思っていたのですが、親戚が全国から集まることになったため、
一日葬という方式をとることにしました。
通常はお坊さんの読経があるので、大半の時間をそれで費やすのですが、
無宗教の場合は主催する家族側が内容を決めなくてはなりません。
限られた時間の中で、何をするのかをサクサク決めて、準備をする必要がありました。

前日に大まかに決めた、母の写真のスライドショー、お別れの手紙をそれぞれが読む、という内容は問題ないとのことでした。
スライドショーは10分程度にする、お別れの手紙は1人1-2分として、7人が読むため、最大14分。
両方合わせて25分程度。その他、お焼香や出棺時のお花入れ、喪主挨拶など。
トータルで1時間弱ということとなりました。

スライドショーの素材はUSBに入れて前日に葬儀会社に渡すこととなりました。
母宅にある古いアルバムを全部ウチに持ってきて、使えそうな写真をスマホで撮影しました。
また別途、3姉妹のアルバムからもピックアップ、
おばあちゃんになってからの旅行の写真など
130枚ほど集めました。
それを子ウシが全部画像加工をして、それぞれにコメントを挿入するという膨大な作業を丸2日間かけてやってくれました。
写真を見ながら、想い出が蘇ってきて、手が止まってしまうこともあり、なかなか作業が進まなかったりでしたが、
子ウシが居なかったらこの企画は絶対できなかったと思います。
また葬儀の間に流すBGMの準備も必要でした。
最初、ピアノのCDをまるまる流していただく、というつもりでしたが
担当の方より、スライドショーとマッチしないかも。。とアドバイスいただき
急遽、ネットで曲をダウンロードして集め、ディスクに焼く、という作業を全部子ウシがやってくれました。
私はただただ見てるだけで、子ウシのテキパキとした作業に感心しきりでした。

作業が終わり、次はお手紙の準備です。
今回手紙を読むのは、3姉妹と孫4人の合計7人です。
1-2分でまとめるのは難しくて何度もやり直しました。

夜は引き続き、母と2人で寝ました。
おやすみなさい
おはよう
話しかけても返事はないですが、生きている時と変わりなく、たわいないことを語りました。

2月2日
静岡の叔母(母の妹)が、次男(私の従兄弟)に車で連れてきてもらい、来てくれました。
こういう時にしか会えないっていうのも寂しいね、と言いながらも、懐かしい顔合わせが出来て嬉しかったです。
叔母は葬儀には参加できず(次男が仕事を休めないので)、とんぼ帰りで戻っていきました。

2月4日、葬儀の前日
葬儀会社の方が朝自宅に来て、母を納棺しました。
私と妹と孫たちで、母を棺に収めました。お化粧直しは姪っ子が口紅を塗ってくれました。
夕方、名古屋の叔母(母のすぐ下の妹)が、長男の車の運転で到着しました
我が家まで5時間で来たという、物凄い速さでした。
そして同時に福岡の叔父(母の一番下の弟)も到着しました。
皆、母の顔を見て涙していましたが、穏やかな顔をみて救われたようです。


2月5日 葬儀当日
朝、葬儀会社の方が、母を先に連れて行く為にやってきました。
続いて、私たちも出発です。

式場はとても清潔で、落ち着いた静かな空気が流れる場所でした。
祭壇はこんな感じです。 最小限のものにしましたが、カラフルなお花がいっぱいでとても綺麗でした。
正面のモニターはスライドショーの為にレンタルしました。レンタル料は1万円ほどでした。
20200205-001.jpg


ジメジメ、シクシクの告別式にはしたくない、
みんなで温かく、頑張って生きた母を笑顔で見送りたい、
そういった主旨を叔父叔母もみな理解してくれ、式の始まる前もとても和やかでした。

子ウシの力作、スライドショーはとても好評でした。
懐かしい写真を見ながら、笑ったり、ホロリとしたり、
とても温かい雰囲気でした。

20代の母 わが母ながら本当に美しい!
今みたいに、画像加工とかない、素のままですからね~
20200205-003.jpg

赤ちゃんは私ですよ~ カワイイでしょ(笑)
20200205-004.jpg

愛犬 ヒメちゃんと  ヒメも若いな
20200205-005.jpg

そして遺影に使った写真がこちら
2017年秋、母、私、子ウシの3世代旅行で撮影したもの。 八ヶ岳の紅葉の中で
20200205-006.jpg


全部で130枚の写真をスライドショーで流しました。結局15分くらいかかりましたが、とても良かったです。

その後はお手紙を読みました。
孫4人、どんな内容なのかと思いましたが、それぞれの視点でのおばあちゃんの姿がとても良く表れていて、
おばあちゃんに対する優しい気持ちが伝わる、大変すばらしい内容でした。
泣くまい、と思ってましたが、やはり涙が出てしまいました。

私を含めた3姉妹の手紙も、それぞれの個性があふれる内容でした。
思いはもっと沢山伝えることがあるけど、これからゆっくりと母に対して語っていきたいです。

出棺の際、喪主挨拶をしました。
母の人生を概略で伝え、また参列の皆さんにお礼を言いました。

最後に棺の中に、お花を沢山入れました。
そして、サプライズで、葬儀会社の方が、母の好きだった、ウニとカニのお寿司を用意してくださり、
桜の小枝と共に棺に入れました。 あちらでお花見ができますように、というお心遣いでした。
葬儀の打ち合わせの時に、母の好きだったものとか、雑談的に話しただけでしたが、
こういう形で気持ちを表していただいたことに、大変うれしく思いました。

出棺後、斎場へ移動。
いよいよ火葬となります。
最後のお別れは寂しい気持ちでいっぱいでしたが、なぜか、母の魂はもうこの身体にはないような気がして、
落ち着いて炉の中へ入るのを眺めていました。

約1時間20分、お骨拾いまでの間、別室でお清めの席を設けました。
孫たちの笑い声、懐かしい話に盛り上がる叔父叔母、
母を中心として繋がっている家族たち
温かく、愛情に溢れた空間でした。

お骨拾いは呆気ないものでした。
骨壺に収められた母をウチの息子に抱えさせました。
一番可愛がってもらった、そして一番心配させた息子でしたが、
昨年結婚し、今回、奥さんと一緒に参列している姿を、母はきっと喜んでることでしょう

20200205-002.jpg


沢山の身内に囲まれた母、きっと安心してるんじゃないかな。
初めての喪主、パパさんも居なくてとても不安だったけど、何とか出来たよ~
お母さん、褒めてくれー (*^-^*)

親戚や息子たちも帰り、家には私と子ウシだけになりました。
脱力気味でしたが、子ウシがずっと支えてくれて、オシャベリしてくれて、
一緒にご飯食べてくれて
こんな頼りになるなんて、本当嬉しかったし、心強かった。

人生のウチで喪主になる事って、結構レアだと思いますが、
素敵な送り出しが出来て、とっても良かったです。


なので、私は今は元気です♪
毎日、母の祭壇に手を合わせて、朝と夜挨拶しています。
そして、隙あらば侵入するニャンコが祭壇の花をムシャムシャ食べたり、
骨壺に上るのを阻止したり、いろいろ大変ですが、
遺影の母はニコニコしています。

享年83歳でした。



ではでは
今日もポチっと応援よろしくお願いします♪
にほんブログ村 バイクブログ 女性ライダーへ
にほんブログ村
今日は暖かかったですね~
来週から仕事に復帰する予定です。
そのため、今日は父のお墓参りに行ってきました。
もうすぐお母さんが行くからねー、よろしくねー、と父に伝えてきました
その後は美容院へ!
やっぱり女性が元気になるのには美容院は欠かせませんね~


1月31日
病院で死亡確認をし、その後の搬送については、私の自宅を指定しました。
そして、ドイツに出張で行っているパパさんに電話で今の状況を伝えました。
時差が8時間あり、パパさんはまだ寝ている状態でした。
実はパパさんが出張に行く前日に母を見舞ってくれていました。
その際に、「元気になろうと思って、頑張ったけど、もうイヤ・・。」と母が初めて弱音を吐きました。
その言葉を聞いた私は、退院後は自宅に連れて帰ろう、と決心したのでした。
退院予定日の3日前でした。そして翌日に受け入れ先のホームへキャンセルしました。
私の意図を汲んでくれたケアマネさんはイヤな顔ひとつせずに即対応してくれました。
そんな経緯があった事もあり、
パパさんは母が亡くなった事を聞いて、とてもショックを受けていました。
数千キロ離れている所からパパさんの悲しそうな声が刺さりました。
取り合えず、報告だから。後は妹たちと何とかやるから、と言って電話を切りました。


搬送業者さんが到着するまでの間に妹たちと葬儀の仕方について話合いをしました。
今さっき母の呼吸が止まったばかりでしたが、すぐに次の事を手配しなければならない状況なんですよね
事前に調べておいて良かったです。

方針としては、ごく近い身内のみでの葬儀をする
お金は最小限にする
直葬をする(通夜も告別式も行わない)

妹たちの同意が得られたので、ネットで調べていた葬儀会社に電話をしました。
コールセンターの女性が丁寧に対応してくれました。
その際に、病院からの搬送がセットに含まれるとのことを言われ、
今、頼んでしまった業者さんをキャンセルできるならした方がいいですよ、と言われました。
慌ててキャンセルしようとしたら、すでに到着してしまっていました。
ですが、病院紹介の業者さんが、ネットの葬儀会社の提携会社だったことがわかり、
その時点からセット扱いにしていただくことが出来ました。

病院の霊安室に案内され、寝台に寝ている母と、祭壇が用意されてました。
さっきまで生きていたのに、もうお線香を立てることに違和感がありました。
その場所で、ドクター、看護士さんに見送られ、霊安室から外に出ました。
見送っていただくドクターは本来は主治医(前日まで入院していたので、その主治医)が担当することになっているらしいですが、
他の患者さんの対応中ということで、見送りには来ませんでした。

最後までこの病院の対応には納得のいかない部分が多々ありましたが、
その件については後日書きたいと思いますので、今回は割愛します。

業者さんの寝台車に私が同乗し、妹や子供たちは車で後から追いかけてきました。
母は光沢のある白い布で頭からつま先まで包まれていました。

自宅に到着し、先ほどまで母が寝ていた部屋へ搬入します。
業者さんより、北側はどちらですか?と聞かれ、その方向を示しました。
さっきまで寝ていたのと反対に頭を向けて、母を寝かせました。
その後、「お仕度をしますので、準備が出来ましたら、お声かけさせていただきます」と言われ
私たちは一旦部屋を出ました。

少ししてから呼ばれ、部屋に行くと、
母は浴衣を着せられ、顔も綺麗な状態になっていました。
痩せて頬はこけていたはずですが、ふっくらしていましたし、安らかな寝顔でした。
苦し気な表情はどこにも感じず、とても美しい母の顔でした。

業者さんに、葬儀の方法について、「直葬」希望を伝えました。
火葬場の空き状況について、翌日確認して、ご連絡いただくことになりました。
参列者は、私たち3姉妹と、その子供たちなど。総勢10人程度の予定となりました。

一番下の妹、ウチの長男夫婦は一旦帰宅、
残ったのは、私は子ウシ、妹と甥っ子姪っ子でした。
子ウシも東京にアパートがありますが、私のことを心配してか、帰るとは言わず、
ずっと側についていてくれました。
本当に心強かったです。

そして、最後に、私と子ウシだけが残りました。
2人で母の顔を見ながら、「お化粧しよう!」
コンシーラーでシミを隠し、ベースメイクして、ファンデーションを塗りました。
頬にチークを入れたら、顔が明るくなりました。
眉も書き足しました。
私の春用のアイシャドーはラメ入りで、ちょっと派手になっちゃったけどww
まぁ、いっか!「おばあちゃん、綺麗だよー」と2人で笑いながら、
まるで女子会みたいにキャイキャイしながらメイクしてあげました。
子ウシが居てくれた良かった。
これ、私一人じゃ出来なかったと思います。

時間が経つにつれて、母の弟妹たちからもどんどん連絡が入り始めました。
母の弟は、札幌と福岡、妹は名古屋と静岡
全国散り散りです。母が長女ですが、他の弟妹も70歳~80歳と高齢です。
それもあり、遠くから皆を呼び寄せずに、私たちだけで葬儀をしようと思ったのです。
ですが、皆、やはり最後にお別れに来たいと言います。
そういう母の弟妹の気持ちもすごく良くわかります。
そのため、再度、姉妹で話し合いをし、皆がお別れが出来る場を作る、
それが私たちの役割でもある、と考えを一致させました。
「直葬」→「一日葬」にしようと思いました。

そして、色々とまた考えた結果、
お坊さんは呼ばない
無宗教で執り行う
母の写真を集めてスライドショーにする
母への感謝の手紙をそれぞれ書いてくる

そこまで決めました。

母をジメジメとした寂しい式で送りたくない
命を燃やしつくして頑張って生きてくれた母を、温かく、華やかに、みんなで送ってあげよう!

チームおばあちゃんず の絆が固く結ばれました


そして最初の夜、
私は母の隣に布団を敷いて寝ることにしました。
人が亡くなると、最初の晩は「寝ずの番」といって、ロウソク、線香を切らさずに一晩中誰かが番をする、という事をしていたと思いますが、
今は、ロウソクの代わりに部屋の電気をつけておくこと、線香は12時間持つグルグル巻きのお線香を使う、ので、
寝ずの番は必要なくなっていました。

前日は母がちゃんと呼吸して生きていて、隣で寝ていたのに、
今は、頭の向きが反対になって、顔に白布がかかっている状態になっているのが、とても変な感じでした。
死人と一緒に寝ていることについての不気味さは全く感じませんでした。
ニャンコたちも遠慮してか、部屋に殆ど寄り付きませんでした。
とはいえ、やはり興奮状態だったのが、眠りが浅く、3時ごろ目が覚めてしまいました。
そこでパパさんにLINEしてみたら、すぐに返事が来て、
電話をかけてきてくれました。
しばらくパパさんが話をして気持ちが落ち着いたのと同時に、不安と悲しさも沸いてきました。
パパさんが帰国の手配をしようとしてくれたようですが、
4日後の便しか取れないとのことでしたので、ムリせず出張を続けるように言いました。
母も仕事を途中で終わらせて自分の為に戻ってきて欲しいなんて決して思わないはずだよ、と。
実際、こういう場面でまさかパパさんが居ないなんて想定外でしたが、
そういうことって起きるものなんですね

でも、私には、チームおばあちゃんずが居る!
母を送り出す責任が私にはあるもんね
そう思いながら、また眠りにつきました。





というところで、次回に続きます
にほんブログ村 バイクブログ 女性ライダーへ
にほんブログ村





会社を2週間も休んでいる状態は初めてのことです。
毎日、ボーっとしているわけではないのですが、役所関係とかの煩雑な手続きなどをするには
休んでいる状態の方が何かとやりやすいのです。
とはいえ、以前の私なら、何をおいても仕事優先にしていたはずですが、
どうにも気力が沸きません。
本当なら今月いっぱいは介護でお休みのはずだったことを思うと、
早々に出社すること(出社できる状態になってしまったこと)に抵抗感があるのかもしれません。
でも来週からは復帰しようと思っています。


1月31日 朝
妹が姪っ子と一緒に母の愛犬を連れてくると連絡がありました。
愛犬は柴犬のヒメちゃんです。
母が入院してから、一人暮らしならぬ、ひと犬暮らししていました。
何とか母に会わせてあげたい、と、ウチにお見舞いに連れてくることになりました。

この日は冬の冷たい風が強く、老犬のヒメにはちょっと大変なのでは?と思いましたが、
なんとなく虫の知らせだったのかもしれません。20200213-001.jpg


母はヒメを見た途端、明らかに表情がパーっと明るくなりました。
驚いたことに手を出して、ヒメの頭を撫で撫でしたのです。
この数時間後に亡くなるとは思ってもみませんでした
image.jpg

ヒメちゃんが帰った後、しばらく母はうとうととしていました。
呼吸しながら、喉の奥でゴロゴロ言う音がしました。
事前に調べていましたが、死期が近いのだ、ということを悟りました。
この日は金曜日でしたが、週末越えられるかな。。と思いながら、
何故か冷静に落ち着いている自分がいました。
不謹慎のようですが、母の横でノートPCを開いて仕事をしつつも、
亡くなった後はどういう事をすればいいのか?をネットで調べていました。

私は3姉妹の長女です。
今はパパさんも海外出張に出たばかりで留守です。
この間に万が一のことがあれば自分が先頭だって行動しなければならない。
その時に私がしっかりしなければ、妹たちや子供たちはどうすることも出来ないだろう、と思っていました。

11時ごろに訪問看護士さんが来てくれました。
優しく母に話しかけながら、血圧や脈を診てくれました。
そして、トイレに行くことは身体の調子がもう少しよくなるまでやめて、オムツでした方がいいですよ、と
本当に優しく諭してくださいました。
母も頷いていました。
オムツの中に敷くパットが必要ということで、妹があとで買いに行くことになりました。
ひと通り看護士さんによる診察が終わった後に、別の場所に移動して、
今の母の状態について、正直なところを聞かせて欲しいと言いました。

「会わせたい人を呼ぶ段階でしょうか?」 と聞くと、
「そうですね」と
血圧が測れないくらい低い状態(おそらく上が60もないくらい)、そして脈も頸動脈以外は振れないとのことでした。

ネットで調べた知識を元に、質問したのですが、
「今、ここで亡くなった場合はこのまま最後をここで迎えていいのでしょうか?」

すると、「現段階では救急車を呼び、病院での死亡確認をしなければならないです。」と。
そして続けて、「ただし、訪問診療の契約が済んでいればご自宅で看取ることが可能ですので、
至急その手続きをしてしまいましょう!」と。

前日退院したばかりの病院へ行き、訪問診療の為の書類を主治医に記入してもらい、
それをもって訪問診療のサービスとの契約を結ぶのを、最短で本日午後に済ませる、とのこと。
看護士さんからも病院のケアワーカーさんに連絡してもらい、すぐに対応していただくように頼んでいただきました。

早速、妹が申請書類の提出の為に病院に出かけました。
出来上がり次第、連絡します、と病院側から言われたので、一旦帰宅してきました。

しばらく妹と2人で母の顔を見ていましたが、良く眠っているようだったので、妹も昼食の為に家に戻りました。
すぐに北海道にいる叔父(母の弟)に連絡をし、今の状態を話しました。
叔父はとてもビックリして、でも何かあったらすぐに連絡してくれ、そして電報を打ってくれ、と言われました。
札幌雪祭りの為に飛行機は満席で、緊急の場合は電報が証拠となり、優先搭乗が出来るからとのことでした。


母と私の2人きりになり、引き続き、母の様子を気にしながらパソコンで色々見ていました。
やはり呼吸が気になります。
もしかしたら、今夜? 週末は無理かもしれない、と、母の様子を見ながらそう思い始めました。

今、言わなくては。。。 と
母に対して、沢山の感謝の言葉を言いました。
ありがとう、大好きだよ
生んでくれてありがとう
幸せだよ

母の頬に自分の頬を寄せて、頭から抱きかかえるようにして、沢山お礼を言いました。
目を閉じていましたが、頷いていたように思います。

14時過ぎに、妹からLINEが入り、今からオムツ用のパッドの買い物と、帰りに病院へ行って、書類が出来ているかもしれないから行ってくる、という内容でした。

でも、「買い物はもう必要ないかもしれない、とにかくすぐに来て」と返信しました。
同時に、一番下の妹とウチの子供たちにも連絡し、来てくれるように伝えました。
みな都内で仕事中でしたが、早退してすぐにそっちに行く、と言ってくれました。

妹が来たので、「お母さんに感謝の言葉を伝えた方がいいよ」と言いました。
私と同じような感じで、妹も母に沢山言葉をかけていました。
まもなく姪っ子も来ました。

それから約30分間、ずっと3人で見守っていました。
頭をなでたり、手を握ったり、声をかけたり。
少しずつ呼吸の感覚が不規則になり、息が止まったか?と思うと、フーっとまた呼吸したりでした。
目はほぼ瞳孔が開いているのか、半分開いていました。
15時ごろに、午前中に来てくれた看護士さんがまた来てくれました。
その時、ほぼ呼吸停止状態となりました。
「救急車を呼んで下さい」と言われました。

私は、このまま看取ったらダメですか?と聞きましたが、
契約前なので、それは出来ないので、救急搬送の必要があるとのこと。

妹が救急車を呼びましたが、こういう時の救急隊からの質問が細かくて中々切らせてもらえないのです。
妹はパニック状態になっていました。
その時、姪っ子がスマホを取り上げ、代わりに的確に応答してくれました。
すぐに救急隊が到着しましたが、その際は完全に呼吸停止になったのが見てわかる状態でした。

AEDを使って、電気ショックを与えるとのことで、
よくドラマで見ていましたが、「離れて下さい」と言われ、
バンっと音がしたかと思うと、母の上半身がボンっと持ち上がりました。
妹は、「やめてください!」と叫んで泣き崩れました。
救急隊の方が、PAです(呼吸停止と言う意味でしょうか)と言い、搬送します、と言って、
担架に母を載せて部屋から出て行きました。
妹に救急車に同乗するように言い、私は自分の車に姪っ子を乗せ、そして間一髪間に合わなかった甥っ子も乗せて
病院へ向かいました。

一番下の妹とウチの子供たちには姪っ子がLINEで今の状況を説明し、
病院に来るように伝えました。



病院に着くと、救急処置室に入ったので、待合室で待っていました。
もう亡くなった事は理解していましたが、なんだか現実感がありません。
中から若いドクターが出てきて、死亡確認をご家族の皆さんと一緒に致しますと言います。
心電図での波形はまだ出ているものの、それは死の状態であることに変わりないとのことでした。
下の妹とウチの子供たちが16時頃到着、それを待って、みなで母の側に行き、
ドクターによる瞳孔反応確認をして、ご臨終です、と言われました。

みんなで母の頬に触れたり、頬を寄せたりして、お別れをしました。
その後、処置をする、とのことで、部屋から出され、遺体の搬送について聞かれたため
病院の提携の業者さんに自宅までの搬送を依頼しました。


というところで、次回に続きます。

内容が重くてすみません。
母の最期の様子を私なりに記録にしたいという思いです。

にほんブログ村 バイクブログ 女性ライダーへ
にほんブログ村




前回のブログを書いて、これから母の介護をやります宣言していたのですが、
それはたった一日限りとなってしまいました・・・

辛くて悲しくて寂しくて、なかなかブログを更新する気持ちも起こらなかったのですが、
元気だったころの母との旅行の記事を読んでみて、
想い出が蘇ってきました。
もちろん今回の記録は嬉しい楽しい記録にはなりませんが、
母と過ごした最後の時間は私にとって、最後の宝のようなものでした。
自分の為に記録に残したいと思いました。


1月30日 母が退院し、私の家にやってきました。
11時頃だったと思いますが、介護タクシーにて担架に乗せられた状態で、
一か月程度過ごす母の為に準備した部屋に入りました。

「今日から私がずっと面倒みてあげるからね、安心してね!」
と言うと、母は「うんうん」と頷いていました。

介護ベッドを手配してたのですが、この日の夕方になるということだったので、
取り合えずは畳の上に布団を敷いて、そこで寝んでもらいました。

ニャンコたちウロウロ母のところに様子見に行くので、
母も「代わる代わる来るわねぇ」と、にっこりしていました。

一応、お昼ご飯の時間だったので、事前に用意していた、野菜のスープと梅ご飯を小皿に入れて
母に持っていきましたが、ここ数日ほとんど口にしていなかったので、食べるのはしんどそうでしたが、
たぶん用意した私に気を使って、頑張って、スープ2口、梅ご飯2口食べてくれました。

すごいねー、良く食べたねぇ!と、いっぱい褒めました。

食後は薬を飲まさなければならないのですが、
腎臓の薬が真っ黒い砂みたいな薬で、口に入れるとザリザリしていつまでも呑み込めないようなものです
なのでウィダーゼリーに混ぜてスプーンで少しずつ口に入れました。

それから母はウトウトと眠り始めたので、私は母の衣類をベッドの側に収納したり、
食事やお茶を飲むときに必要な吸い飲みをセットしたり、
私が部屋にいないときに母が私を呼びやすいようにカウベル(ウシだけにww)をベッドに括り付けたりしました。
また仕事を休んでいるので、横でノートPCを開いて、仕事のメールを確認したり、
部下への指示メールを送ったり
母の横で仕事と家事が両立することが出来そうじゃん、と、これからの介護生活もそんなに大変ってことないかもなぁ、と思いました。

少したって、母がトイレに行きたいというので、布団から起こして、身体を抱えて立たせ、
トイレまでヨチヨチ歩きで支えながら連れて行きました。
やはりベッドが無いと、起き上がらせるのは大変だわ、と痛感。
トイレに座らせ、「終わったら声かけてね」と言い、ドアの前で待っていたら、

ガチャン!!と音がしたので、

「どうしたの?」とドアを開けると、
母が便座に座った状態で、後ろのタンクに寄っかかるように倒れていました
顔はとても辛そうでした。

慌てて支えて、なんとか歩かせて、布団へ戻りましたが、
その後、30分以上の間、呼吸が辛そうで、顔は苦悶の表情で、
このままどうにかなってしまうのではないか、とハラハラしながら、側についていました。

この時の母の体力、身体の状態からして、トイレに行くこと自体が無理な事だったのです
ですが、絶対にオムツはイヤだと言い、どんなに辛くとも、自分でトイレに行くと言うのです。

しばらくして状態に落ち着いてきました。
夕飯は病院では食べられなかったお刺身がいいかな、と聞くと、
「うんうん」と頷きました。

妹にお寿司を買ってきてもらうように頼みました。

夕方5時過ぎに、介護ベッドが搬入されました。
同じタイミングでいつもお世話になっているケアマネさんも母に会いに来てくれました。
今後の件などで打ち合わせを部屋の外でしていたところ、
なんか人の気配がして、ふと見たら、
母がベッドから一人で降りて、ヨチヨチ歩いているではないですか!
どうやらトイレに行きたかったらしいのですが、
私たちが話し込んでいて気付いてあげられず、一人で動いてしまったのでした。
これにはビックリと共に、猛反省しました。
これは、やはり少しも目を離してはいけないわ、と。

皆さんが帰った後、妹が買ってきてくれたお寿司の中で、
中とろマグロと、母の大好きなウニを食べやすい大きさにカットして用意しましたが、
「今は要らない」と言うので、「じゃあ、もう少し後にしようね」と一旦下げました。
でも、その後、これを母が口にすることはありませんでした。
水やお茶も吸い飲みを近づけても、要らないというし、

「老衰」というのがどういう状態なのか。
ネットで沢山読みました。
母の状態に当てはまるとことが多々ありました。
木が枯れていくように、身体が何も受け付けなくなる、
本人が欲しがらなければ無理に与えなくて良い、と
不安でしたが、ムリにあげることが本人にとって辛い事にもなる、という説明もあるので、
あえて何もしないようにしました。

ぐっすり眠っているのを確認して、大急ぎでお風呂に入りました。
慌てて出てきてすぐに様子を見て、引き続き寝ている姿を見て安心しました。


夜、母のベッドの隣に布団を敷いて並んで寝ることにしました。
旅行以外に、こうやって一緒に寝るのはいつ以来だろう?
母のちょっとした動作や音も聞き逃すまい、と思っていました
元々、眠りが浅い私は、ニャンコが布団に潜り込んできたり、側に来ただけでも目が覚めるので、
そんなに難しい事ではありませんでした。

寝付いてから2時間くらいして、ふと目覚めたので、母の方を見てみると、
母が私の方をじっと見ていました。

どうしたの? トイレ?

と聞きましたが、首を振ります。

何かあったら遠慮なく言うんだよー、と会話して、また眠りに着きました。

朝5時ごろ、母がトイレ、と言いました。
「オムツにしてしまっていいんだよ?」と言いましたが、やはりトイレに行きたいとのこと。
ベッドを起こして、母を立たせ、トイレまで連れて行きます。
用を足し終わるまで待っていましたが、ほぼ何も出てなかったように思います。
座りながら、やはりとても辛そうでした。

ベッドに戻ってからは、寒い寒いというので、
ふとん乾燥機を使って、布団の内側を温めてあげました。

どう? あったかい? と聞くと、「うんうん」と頷いていました。

31日の朝になり、なんとか一晩無事だった、というのが正直な感想でした。

1日母と過ごしてみて、「時間がないかもしれない」という予感がしたのでした。




というところで、次回に続きます。


にほんブログ村 バイクブログ 女性ライダーへ
にほんブログ村